「ご隠居システム」再考 ― 熊さんは暇つぶしにご隠居の家へ行く

2015年に、このブログで「ご隠居システム」という記事を書いた。

落語によく出てくる、ご隠居のところへ熊さんや八っつぁんが遊びに来る場面。その、あまりにも当たり前の光景が、あるとき急に不思議に見えた、という話だ。

商家の主人などを務め、仕事を後継者に譲って、生活に余裕のあるご隠居。一方は、長屋に暮らす職人の熊さん。暮らし向きも、持っている知識も大きく違う二人が、気安く雑談している。

なぜ、そんな関係が成立するのか?

当時は疑問を書き留めただけだったが、今になって、この問いをAI相手に壁打ちしてみた。僕が引っかかっている点を壁打ちでより明確にして、AIに他国の類例や江戸の社会・文化について資料を調べてもらい、その結果をもとに考え直す。そうしたやり取りを経て、ようやく、自分なりに納得できる仮説が見えてきた。

「階層を超えた友情」だけではない

まず、僕が何を不思議に感じているのかを、もう少しはっきりさせてみた。

暮らし向きの違う人同士が親しくなること自体は、珍しくないだろう。主人と使用人のように、毎日の仕事で顔を合わせているうちに、気安さや友情が芽生えることもあると思う。時代や場所を問わず、物語世界でもよく目にする。

でも、僕が気になっている「ご隠居と熊さん」は、そうした仕事上のつながりを前提にしなくても成立している。

熊さんは、用事がなくても、ご隠居の家へ遊びに行く。八っつぁんのところへ行くのと同じように、暇つぶしの相手として、ご隠居を訪ねる。

僕が「フラットな関係」と呼ぼうとしているのは、この点だ。年長者への敬意がない、という意味ではない。遊びに行く相手として、同じ選択肢の中にいるのだ。

しかも、落語は「実は、この二人には身分を超えた友情があって。。。」といった説明を必要としない。「ご隠居」と「熊さん」という役柄だけで、その関係が聞き手には通じる。特別な二人の美談ではなく、日常の一場面として話が始まる。

この「よくある関係」として受け止められることが、僕には面白い。

もちろん、落語から「実生活ではどれだけ当たり前の関係だったのか」をデータとして提示することはできない。それでも、こうした関係が現実にもある程度根づいていた、と考える手がかりにはなると思う。今回はそれを前提に、成立した理由を考えてみる。

他の国の似た例から見えてくること

僕がAIに頼んだのは、他の国にも似た付き合いがあったか、調べることだった。共通点があれば、成立条件を考えるヒントになると思ったからだ。今回の調査では、完全に同じものは見つからなかったが、AIが挙げた資料には、手がかりになる例があった。

AIが見つけた研究と解説によると、19世紀ベンガルには、私宅の応接空間などに集まって、噂話や冗談、文化や政治について長話を楽しむ「アッダ」という交際の慣行があった。ただ、富裕者の庇護のもとでの集まりと、参加者が飲食代をそれぞれ負担して比較的対等に話す集まりには、違いもあったようだ。ベンガルの住宅と社交についての研究アッダの歴史についての解説

この結果から考えたのは、「裕福な人の家に集まれること」と「その人の顔色をうかがわずに話せること」は別、ということだ。

一方、AIが挙げた朝鮮の詩社に関する研究の公開要旨には、1800年前後、下位身分の人々が作る詩社に、有力な両班が進んで参加したとある。朝鮮の詩社についての研究

詩を作るという参加条件はある。それでも、地位の低い側にも、上位者が出向いていくほどの魅力があった、と読める。

この二つを手がかりにAIとやり取りするうちに、僕の問いは少し具体的になった。

余裕のある人が場所やお茶を提供しながら、来る側も、その人に楽しみを与えられる。しかも、もてなされることが、取り巻きになることを意味しない。そんな付き合いを可能にする条件は何か。

江戸では、暮らし向きが違っても近所の人だった

次にAIに調べてもらったのは、当時の江戸の都市生活だ。紹介された長屋の解説によると、表通りに商売のできる表店があり、その奥の路地に裏長屋があった。暮らし向きの違う人が、近い空間で生活していたのだ。台東区の長屋解説

だからといって、町内が平等だったわけではない。家持・家主・地借・店借といった区別があり、町の運営への関わりにも違いがあった。港区『図説 港区の歴史』

それでも、財産の差が、生活圏の完全な分離にはなっていない。

この近さが大事なんじゃないか、と思う。相手の家へ遊びに行くより前に、「あそこの人」として顔や暮らし、人柄を知る機会がある。特別な紹介や仕事の依頼がなくても、付き合いの足場ができるのだ。

ご隠居も、熊さんから見れば、「遠い世界のお金持ち」である前に、「近所に住んでいる、話をすると面白い人」だったように思う。

会って話すこと自体が、楽しみになる

AIの調査からは、江戸で人が集まって話し、遊ぶ場所についても、具体例が出てきた。

たとえば「湯屋の二階」。風呂上がりの男性客に茶菓子を出し、囲碁や将棋を用意した社交の空間である。風呂という用事を終えても、その場に残って人と過ごすことができた。「江戸湯屋建築の復元的研究」

また、狂歌会には武家・町人という身分の違いを超えて人が参加し、博物学でも大名・武家・薬商などが同席して議論する場があった。国立国会図書館の狂歌解説同・江戸時代の博物誌

こうした資料から、次のように考えた。こうした場では、財産や役職のほかに、「面白いことを言う」「よく知っている」「一緒にいて楽しい」といった魅力が意味を持ったのではないか。

ここからは僕の推測だが、そうした付き合い方は、詩や学問を楽しむ人々の外にも広がっていたのではないか。熊さんに、詩や学問の素養が必要だったわけではない。そんなものがなくとも、立場を超えて、人を遊びや会話の相手として見ることが許される価値観が、当時の江戸の暮らしの中に、ごく普通にあったのではないか。

そこに、ご隠居がいる

ここまでの調査を踏まえ、AIとの壁打ちで考えたのが、この環境に「ご隠居」という立場を重ねることだった。

AIが紹介した民俗学者・神崎宣武の発表資料では、隠居を社会からの隠遁とは区別し、仕事を後継者に譲った後も、趣味を楽しみながら社会とのつながりを保つ生き方が論じられている。神崎宣武の発表資料

ここから先は、資料にそのまま書かれた結論ではなく、やり取りを通じて僕が納得した仮説だ。

生活に余裕のあるご隠居なら、住まいも、経験も、人とのつながりも持っている。その一方で、日々の商売の差配は後継者に任せられる。

周囲の人も、その人に、現役の旦那としてではなく、「話し好きのご隠居」として接することができるのではないか。

隠居したからといって、力や上下関係が完全に消えるわけではない。それでも、付き合うたびに現役の役割を持ち出さなくて済む余地が生まれる。引退後に、人との関係を結び直せる立場が、社会の中に用意されていたとも考えられる。

そこへ、熊さんがやってくる。

熊さんは、援助を受けるために初めてご隠居と関係を持つのではなく、すでに近所の話し相手だ。その付き合いの中でお茶や羊羹が出されるなら、それは、いつものもてなしとして受け取れる。ご隠居にも、熊さんが来てくれる楽しみがある。

どちらも相手と過ごしたい。なぜなら、それが楽しいから。そして、その理由だけで会える社会的・文化的な背景が、当時の江戸にはあったから。

これが、今回の壁打ちを経て、僕がいま最も腑に落ちている説明だ。AIに調べてもらった社会的・文化的条件と、落語を聞いて僕が感じていた自然さが、ここでつながった気がする。

ご隠居だけではできない「システム」

2015年の記事では、ご隠居という人の存在に目が向いていた。

あらためて考えると、その周りにも、いくつもの条件があったのかもしれない。暮らし向きが違っても顔の見える近所付き合い。会って話すことを楽しむ文化。財産や役職とは別に、会話の相手として人を見る作法。そして、仕事を譲った後も、その町で人と付き合っていける隠居という立場。

それらが重なったところに、「ちょっとご隠居のところへ行ってくる」がある。

八っつぁんのところへ行くのと同じように、ご隠居のところへ行ける。 その自然さを作っていたのは、ご隠居本人の人柄に加えて、町の暮らし方そのものだったのではないか。

そう考えると、今の社会に持ち込むとしても、引退した人の居場所を作るだけでは足りない気がする。熊さんの側も、そこへ行けば楽しいし、自分が行くことを相手も喜んでくれる。そんな付き合いが育つには何が必要なのか。

「ご隠居システム」という疑問は、今度はそちらへ続いていきそうだ。

Comments