この記事は、僕が抱いた疑問をAIとの壁打ちで掘り下げ、その議論をもとにまとめたものです。
最近、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパで生まれた作品には、不思議な共通点があるように感じている。
たとえば、次のような作品。
- ジヴェルニー時代のクロード・モネ
- シャーロック・ホームズ
- エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」
- アルフォンス・ミュシャの作品群
絵画、小説、音楽、ポスターと、分野も作風も違う。
それでも、これらを今の時代の「新作」として初めて見たり聞いたりしても、それほど大きな違和感を覚えないような気がする。
もちろん、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの音楽にも、今なお美しさや心地よさを感じる。しかし、もし彼らの曲を「現代の作曲家による新曲です」と紹介されたら、おそらく僕はクラシック音楽らしい時代性を感じると思う。
一方、サティの「ジュ・トゥ・ヴ」が現代の映画やCM、ゲームで流れても、過去の再現とは感じない。その場の気分を作る、現在の音楽として自然に受け取れる。
100年以上前の作品なのに、なぜだろう?
年代は本当に重なっているのか?
最初は、僕が作品の年代を取り違えているだけかもしれないと思った。しかし、調べてみると、これらは実際にかなり近い時期へ集まっている。
モネは1883年にジヴェルニーへ移り、1890年前後から積み藁などの連作へ進んだ。後には、自ら造った庭と睡蓮の池を繰り返し描くようになる。
シャーロック・ホームズの初登場は、1887年の「緋色の研究」。現在のホームズ人気へ直接つながる「ストランド・マガジン」での短編連載は、1891年に始まった。
ミュシャがパリで活躍し、現在よく知られているポスターを次々と制作したのも1890年代後半。「ジュ・トゥ・ヴ」も、1900年前後に生まれた作品である。
気になっていた四つの例が、きれいに1880年代後半から1900年代初頭へ重なっていた。
現代の僕たちが、彼らの文法を使い続けている
「時代を超越している」と言えば、それで説明できるようにも思えるが、バッハやモーツァルトの音楽とは異なる「今と地続きな印象」の説明にはならない。
AIと壁打ちしながら考えているうちに、少し違う見方が出てきた。
(彼らが現代を先取りしたというより) 現代の僕たちが、彼らの時代に生まれた表現の文法を今も使い続けているのではないか?
たとえばホームズには、現代のドラマ、漫画、アニメでもおなじみの仕組みが揃っている。
- 強烈な個性と専門能力を持つ主人公
- 読者に近い常識人が語り手になる構造
- 同じ人物が一話完結の事件へ繰り返し登場する連作形式
- 主人公と相棒の関係そのものを楽しむ読み方
ホームズの短編を掲載した「ストランド・マガジン」は、安価で挿絵の多い、大衆的な家庭向け月刊誌だった。コナン・ドイル自身も、同じ主人公が別々の短編に登場すれば、読者を雑誌につなぎ留められると考えていたらしい。
これはもう、現代の「人気キャラクターを中心にした連続コンテンツ」とほとんど同じ発想だ。
ミュシャも、美術館に収める一点物だけを作っていたわけではない。彼の代表作の多くは、演劇や商品のために作られ、街頭へ何枚も貼られるポスターだった。
人物と装飾を組み合わせ、一目で分かる強いイメージを作る。それが広告であり、都市の装飾であり、それ自体が収集される美術作品にもなる。現在の広告、イラスト、ファッション、キャラクターデザインへ、そのままつながっているように見える。
モネの場合、重要なのは「何を描いたか」より「どう見えたか」なのかもしれない。
神話や宗教、歴史上の事件ではなく、光、水面、空気、時間によって自分の視覚がどう変化するかを描く。同じ対象を、条件を変えて何度も見る。その態度は、抽象絵画だけでなく、写真や映像、僕たちが日常的に撮る風景写真にも近い。
サティの音楽には、巨大な形式や重厚な物語よりも、短い時間の中に独特の気分を作ることが優先されているように感じる。カフェや部屋、映画の一場面など、日常の空間へすっと入り込むことができる。
こうして並べてみると、四者の作風は似ていなくても、それぞれの分野で現代文化の基本的な文法を形にしている。
| 作品 | 現在まで続いている文法 |
|---|---|
| モネ | 主題より知覚、瞬間、光、反復 |
| ホームズ | キャラクター中心の連続コンテンツ |
| サティ | 気分、親密さ、短さ、日常空間の音楽 |
| ミュシャ | 芸術、広告、装飾、人物イメージの融合 |
なぜ、同じ時期に起きたのか?
では、複数の分野で同じ頃にこのような作品が現れたのは、単なる偶然なのだろうか?
おそらく、完全な偶然ではない。
19世紀後半のヨーロッパでは、鉄道、電信、電気、印刷などの技術が急速に発達した。都市へ人が集まり、教育の普及によって文字を読む人が増え、文化を楽しむ中間層も大きくなった。
新聞、雑誌、広告、百貨店、劇場、カフェなどを通じて、文化を多数の個人へ継続的に販売する市場も生まれた。
それ以前の芸術を支えた主な制度は、宮廷、教会、貴族、アカデミーなどだった。しかし、この時期になると、名前も分からない大勢の個人が、新しい文化の依頼主になる。
彼らは、自分の生活の中で楽しめるものを求めた。
- 通勤途中に雑誌を読む
- 街角でポスターを見る
- カフェや劇場で音楽を聴く
- 家に絵や装飾品を置く
- 休日に郊外へ出かける
文化が日常へ降りてきた。そして同時に、個人の日常、気分、知覚、余暇そのものが、文化の題材になった。
ホームズとミュシャは、情報と商品が溢れる都市に適応した表現だった。一目で認識でき、繰り返し接触したくなる人物や意匠を持っている。
一方、モネの庭やサティの親密な音楽は、都市化した人間が求める私的な感覚の空間を作った、とも考えられる。
答えの方向は違っても、同じ社会の変化に応じていたのかもしれない。
必然だったのは「要求」で、答えは偶然だった
もちろん、工業化が進めば必ずシャーロック・ホームズが生まれるわけではない。印刷技術からミュシャの曲線を導くこともできないし、鉄道の発達だけでモネの庭やサティの和声を説明することもできない。
必然に近かったのは、新しい文化形式への要求だったのだと思う。
- 大勢の新しい受け手へ届けられること
- 短い時間でも楽しめること
- 反復や複製に耐えられること
- 情報の多い都市で人の目や心を捉えること
- 個人の生活や気分に入り込めること
19世紀後半の社会は、複数の芸術分野へ同時に、このような要求を突きつけた。
その要求に対して、モネ、ドイル、サティ、ミュシャが、それぞれ固有の答えを出した。そして、非常に強い答えだったからこそ、その文法が100年以上後の現在にも残っている。
つまり、今のところ僕が一番納得している答えは、こうなる。
新しい文化形式が複数分野で同時に求められたことは、歴史的な必然に近い。しかし、その要求に対して今も通用する具体的な答えを与えたのは、個々の作者と作品の偶然だった。
これらの作品が現代の新作のように感じられるのは、彼らの時代に作られた道の上を、僕たちが今も歩いているからなのだと思う。
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