ご隠居システム

僕は落語をライブで聞くのが好きで、月に1~2回は聞きに行っています。

特に、長めの噺(はなし)をじっくりと聞ける「○○さん独演会」タイプの会が好きなのですが、独演会といっても、演者は一人だけではありません。ほとんどの会では、最初に「開口一番」と銘打って、前座さん(入門から5年目ぐらいまでのお弟子さん)が短い噺を聞かせてくれます。

この前座さんの噺というのは種類が限られていて、時間が短めの、オーソドックスなパターンに沿ったものが多いです。
その中でも一番多いのは、やはり「ご隠居さんのところに、職人の熊さん(または八っつぁん)が遊びに来るパターン」でしょうか。

ご隠居さんの部屋イメージ

先日も、とある独演会で最初にそんな前座さんの噺を聞いていたのですが、ふと「ご隠居さんって、隠居(リタイア)する前は大きな商家の旦那さんだった人だよな」ということが思い浮かびました。

でも、なぜそんなことが急に引っかかったのだろう?と前座さんの噺もそっちのけで考え始めたのですが、思い当たったのが、近頃目にすることが多くなった「社会階層/格差が固定化し、階層ごとに社会が分断されていく」という話題です。

目の前で前座さんが語っている「ご隠居さんと熊さんが仲良く雑談している光景」が、「階層が違うと、お互いに出会うことすらない社会」との対比として、僕の中で異彩を放ってしまったようなのです。

片や、その地域でエスタブリッシュメントとしての地位を確立した後、悠々自適の生活に入ったご隠居さん。
片や、「あいつは字を読み書きできるような気取った野郎だから、仕事ができないんでぃ!」といった気質の、長屋住まいの職人さんです。

階層によって分断されている社会なら、きっと出会うことすらない二人ですが、

  • ご隠居は、暇なところへ楽しい熊さんが遊びに来てくれて嬉しい。
  • 熊さんは、ご隠居のところへ行くと、羊羹を戴きながら面白い話やタメになる話を聞けて嬉しい。

といった、フラットなWin-Winの関係にあります。

そして、このパターンの落語が多く残っているということは、少なくとも江戸後期から明治前期にかけての日本では、こうした関係は絵空事ではなく、リアリティがあるものだったのでしょう。ご隠居の存在、おそるべし。


そんな妙なことに気づいた日から、エスタブリッシュメントと長屋の住人がフラットに付き合える場としての「ご隠居システム」に関する疑問が、僕の頭の片隅に住み着くようになりました。

  • 当時はなぜそのようなシステムが成立し得たのか?
  • 「ご隠居システム」には、社会の分断を防ぐ効果もあったのでは?
  • 現在の社会にそのシステムのエッセンスを持ち込むとしたら?
  • 日本の文化には、「ご隠居システム」を成立させやすい素地があるのでは?

などなど。

別にこれといった成果は得られていませんが、今日も僕は頭のどこかでこんなことを考えています。

Comments